特定地方交通線算

かつて、特定地方交通線というものが存在した。
これについての解説、及び賛否もろもろについては割愛するが、
この中に「広尾線」というものが存在した。
北海道の道東の都市、帯広と、十勝南部の広尾を結ぶ84.0kmの路線であったが、
第二次特定地方交通線に指定され、1987年に廃止された。

この路線の「愛国」と「幸福」の間の切符は、験担ぎとして人気で、
1974年には営業係数が704から189まで回復するほどであった。
それで、もしこの路線に存続する道があったとしたら?と考えてみる。

前提

まず、特定地方交通線の条件についておさらいしておこう。

但し、以下の例外が存在した。

  1. ピーク時の乗客が一方向1時間あたり1000人以上(飯山線ほか)。
  2. 代替輸送道路が未整備(岩泉線ほか)。
  3. 代替輸送道路が積雪で年10日以上通行不可能(只見線、越美北線)。
  4. 平均乗車キロが30kmを超え、輸送密度が1000人/日以上(釧網本線ほか)。

このうち、太平洋側に面し、なおかつ平地が広がる広尾線にとって2,3は無縁といえるだろう。また、愛国~幸福間は11.0km、帯広~幸福間でも22.0kmである以上、4にも該当しないだろう。
ということで、1.を狙って(?)いこう。

計算(?)

まあ、毎日1時間1000人の乗客を幸福から帯広に送り込めばいいということらしい。
仮に帯広から幸福に向かう観光客(観光客だけあてにしてはいけないが)に、ついでに幸福駅で愛国行きの切符を買ってもらえば、0.5往復分水増し増やすことができる。

しかし1時間1000人、ということは特定の時間だけ、末期は6往復しか需要がなかった路線に1時間3本くらい走らせる需要があったか、というとはなはだ疑問(本末転倒)だが…


まあ、「乗らずに乗って残そう運動」がもし起きていたとしても、
史実の松前線や木原線のように、特定年の乗客数を突かれたり、
勝田線のように、乗客数や沿線人口数に見合った(?)増発が行われなかったりして、
廃止されていた可能性も、当時の国鉄ならありそうですけどね。

さてさて、平成最後の記事(2019/04/30執筆)になぜ昭和末期の記事を選んでしまったのだろうか。
令和時代も鉄道(北海道のそれは特に)には逆風が吹くとは思われるが、今後も北海道の鉄道、そして当サイトをよろしくお願いします。

出典

ダイエーの面積トップに戻る
ホームに戻る